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武装の必要性;家族、地域、国を守ること

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この記事を読んでいる人は、多かれ少なかれ銃に親しみ、自分の身を守ることに関心のある人でしょう。しかし世間の多くの人々は、どんなことがあっても誰かが自分たちを守ってくれると信じてやまないようです。そういったことは警察や消防の仕事であって、怪我をすれば救急隊員が応急処置をしてくれるし、自分たちは危険なことから逃げることだけを考えればいい、他のことは専門の人たちに任せればいい、自分たちは関係ない、そんな風に考えている人たちが多数になっているようです。
私達は、世界はバラ色ではないことを理解しなければならない。世界は2001年の9月11日を境に劇的に変化し始め、それはこの先何十年と悪い方向に進んでいくだろう。世界各国の当局は容赦なく破壊活動を行う敵が誰であるかも特定することができない。アメリカではどうだろうか?愚かな市民がマルクス主義者を選挙で選び、社会主義的な政策を押し付けたときに変わった。彼らは国民を守るといって憚らないが、少しも実現されていない。
政治家が警察を悪とみなすことによって、警察官は自分たちの仕事に誇りを持てなくなっている。彼らは使命感をもって仕事をすることができなくなっているのだ。カーゴポケットのついたズボンを履き、防弾仕様の車両を操って勤務する現場の警察官たちは、万一の非常事態に対応する任務に就く警察官が非常に少なくなっていると悲鳴をあげている。
その気になれば警察署を増やすことくらいはできるだろう。しかし一度自分自身に問いかけてもらいたい。自分や家族の安全の責任は誰が負うのだろうか?自分自身?それとも政府?
自分自身だと考えるなら、話を進めていこう。
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銃関係の雑誌やメディアでは「武装する市民」についての議論が盛んで、アメリカのガン・カルチャーがあるからこそ、ムンバイやパリで起こったようなテロが起こらない、といった意見が語られている。しかしよく考えてほしい。まず何よりも、ただ単に銃を持っていても、それだけで不思議な力が湧いてくるわけではない。いつ、どのように銃を使うかという訓練もせず、正しい心構えもなくては、銃を使うことはできない。



銃を所持していても、定期的に射撃をしている人は非常に少ない。それ自体が悪いわけではなく、年に1、2回狩猟に出かけるだけでも、的を撃ち抜くだけの標的射撃に参加することも、ただ単に所持しているだけの人もいるだろう。銃を所持することは認められた権利であるし、アメリカの偉大な先人によって定められたものだ。世間ではこうした人たちも含めて「武装した市民」とみなしているが、彼らが敵の攻撃を阻止し、自分や家族を守ることができるわけではない。
米国で合法的に拳銃を所持している人がどれだけいるだろうか。そして実際に拳銃を携行している人が何人いるだろうか。実際にとはたまに携行することがある、といったことでなく、危険があると考えたときには必ず携行するという意味だ。私の40年以上の経験では、そうした信念をもって携帯している人はほとんどいない。
もちろん、そのようにしたくとも職場に銃を持ち込むことを禁止されている場合もあるし、銃を携行すること自体が違法である地域もあるのは理解している。法令やルールに従うのは当然のことだ。また例えば酒を飲みに出かけるのに銃を携帯することも適切でないと思う。
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では、銃を携行するべきなのにしないことの理由はなんだろうか。様々な理由が考えられる;
「面倒くさい」→靴紐を結んだり、財布をポケットに入れるのと変わらないのでは?
「銃が邪魔で不快」→銃はもともと快適なものではないが、あまりにも不快なら銃やホルスター、弾倉を選び直してみてはどうだろう。
「服が台無しになる」→ため息しかでない
「必要性を感じない」→不思議な能力でも持っているから銃は必要ないのだろう。
射撃訓練についても「やらない」理由は様々のようだ。
「自分は軍にいたことがあるから(大丈夫)」→本当だろうか?いつ?特技(MOS)は?今はどんな訓練を?
「お金がない」→確かにお金の問題は無視できない。一度無駄遣いがないか確認してみては?
「訓練なんか必要ない。憲法にはそんなことは書いてない」→確かに憲法には書いてない。だがもし本当にそう思っているなら、銃を持つべきではないと思う。
私は銃には関わりたくないという人を批判するつもりはない。一方で銃を持つことの重大さをよく考えずに銃を所持している人もいる。
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以前に私は、銃のことをわかっていない人たちが好んで言っている「ONE SHOT,ONE KILL」に関する間違いについて記事に書いたことがある。記事ではわかりやすく説明するために無残な射殺体の写真を使ったが、それを見た読者からは「もう銃を持つ気がなくなった」という声もあったそうだ。それも素直な気持ちだと思う。だが我々が銃を持つ理由はただ一つだ。危害を加えようと襲ってくる者から自分や他の人の身の安全を守るためである。
単に銃を持っている人と身を守るために銃を持って武装している人では全く別のことなのだ。単なるあと知恵で銃を持ったり、ホルスターから銃を抜いた後に何が起こるのかを考えていない人は「武装する市民」とは言えない。銃を所持していても訓練をしなければだめだ。訓練を受け、銃を携帯していても、普段からのしっかりとした心構えを持たず、周囲を警戒できないようでは、まだ「武装する市民」ではない。
事態はより深刻だ。近年は非番のときに銃を携帯しない警察官がいるという。全く信じられない。以前の警察官は24時間365日銃を携帯していたものだ。銃の携帯が許可されている場合には、必ず携帯すべきだと私は考える。
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9.11以来、多くの人が献身的な努力をしてくれているおかげで、大規模なテロ攻撃は防ぐことができている。しかし小規模なテロ攻撃は防ぎきれず、少なからず犠牲者も出ている。フォートフッド、ガーランド、サンベルナルディノなど。
こういった事件を無視はできない。今この瞬間にテロを阻止できるのはあなたかも知れないからだ。その時あなたは何ができるだろうか?そのためにどんな準備をしているだろうか?いざというときには立ち向かおうという心構えをもち、必要な装備を持つべきだ。
銃を持ち武装する権利は合衆国憲法修正第2条に保障された当然の権利であり、その権利があるからこそ我々アメリカ市民は自由でいられるのだ。